本論文の章立ては以下のようになっています。第1章で仮説を立て、第2章と第3章の分析でそれを検証するという構成です。

_序   研究の目的・方法
_第1章 建築経験で捉えられる空間と空間変移の仮説
_第2章 分析1:空間変移のデザインパターンの検証
_第3章 分析2:空間変移パターンによる建築経験の記述
_第4章 結論と展望
_参考文献・図版出典

本サイトでは、これらをすべて公開しています(スカルパ空間論_0 : 本論文・要旨・空間変移パターン一覧)が、特に分析の部分では実際の経験を想像しなければならないなど、読み通すことはかなり骨が折れる作業です。そこで、もし「少しは読んでもいい」と思われる方は「序」と「 第1章」で問題意識と仮説を理解していただければ、あとの部分は興味に合わせて拾い読みされるか、画像だけを眺めていただいてもよいかもしれません(分析は、なるべく画像で意図が伝わることを心掛けました)。

 

以下では、本論の主旨に興味を持っていただいた方が概要をつかむ助けとなるよう、

_[1]「空間変移」とはいったい何か
_[2]〈空間変移のデザインパターン一覧〉(本論34-35頁、表1.1)には何の意味があるのか

の2点について説明したいと思います。[1]は本文と重複するものですが、[2]は研究範囲を広げるための一般化で、本文中には述べられていません。しかし、少し意味を一般化した方が論文が理解しやすくなるのではないかと考え、公開いたします。

 

[1]「空間変移」とは何か

本論では、空間変移とは『たとえば「ドアを開けて隣の部屋に移ると異なる空間が現れる」ような意味での空間の変化ではなく、観察者の行動に伴って、「同じ」物によって示される、あるいは「同じ」場所に捉えられる空間が[中略]変移することである。』(21頁)としています。端的に言いますと、空間変移とは観察者による空間の解釈が変わることです。このことからわかるように、ここでは「空間」を「建築経験において捉えられる空間」(18頁)に限定して考えています。以下、「空間変移」について考える前に、この「空間」について少し補足をします。

多様に用いられる「空間」を「建築経験において捉えられる空間」の意味に限定しても、それは単純ではありません。なぜなら、空間は一般に〈物理的空間〉と〈心理的空間〉に分けて考えることができますが(*1)、「建築経験において捉えられる空間」がそのどちらに位置づけられるかは当たり前のことではないからです。実際、建築に限らない空間論一般においても、この二種類の「空間」の関係は問題とされます(*2)。一般には、そのいずれかに着目して空間は論じられるとも言えますが、それでは十分ではないという考え方もあり(*3)、本論もそのような考え方を引き継いでいます。つまり「建築経験において捉えられる空間」を〈物理的空間〉か〈心理的空間〉のいずれかとして考えることは十分ではありません。単純にいえば、それは〈物理的空間〉と〈心理的空間〉が重なったものです。では、そのような「空間」をどう扱うべきでしょうか。

このような問題意識で建築空間を論じた代表的なものに、ノルベルク・シュルツの『実存・空間・建築』(*4)と、原広司の「空間図式論」(*5)があります。原の文献から引用します。

「空間の意味は、実在する空間や観念的な記号からなる抽象化された空間にあるのではなくて、それらを秩序だてた空間図式のなかにある。[中略] 空間図式は、空間の形成であり、空間の解釈である。空間の意味は、無限の記載能力をもつ〈実在する空間〉のなかにあるわけでもなければ、今日ほとんど解明されていないが、とりとめもないかに思われる〈意識のなかの空間〉にあるわけでもなく、空間図式のなかにあるのである。したがって、空間の意味を研究しようとするなら、空間図式の意味が研究対象になるのであって、実在する空間や意識のなかの空間が対象になるのではない」(原1987:186-187頁)

シュルツも同様に、「抽象的な幾何学を論じて人間を議論の圏外に置き去りにしようとする」のでもなく、「空間や建築を印象や感情や「諸効果」の研究に還元」するのでもなく、「人間と人間の環境との関係としての空間」である空間図式(実存的空間とも言いかえています)を考えるべきだと述べています(シュルツ1973:29頁)。

本論では、このようなシュルツや原の議論を参考にして、『スカルパ作品に見られる空間の原型的な形式としての「空間図式」』を以下のように3つ仮定します(本論23頁)(*6)。これらはいずれも〈人間が物を手がかりにして環境を把握するための空間〉となっており、上で引用したシュルツの「人間と人間の環境との関係としての空間」の読みかえとなっています。

 〈包囲空間〉: 床・壁・天井(面)の「なか」

 〈周辺空間〉: オブジェクト(ボリューム)の「まわり」

 〈開口空間〉: フレーミング(ライン)の「むこう」

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ここで話を戻しますと、本論で問題にしている「空間変移」とは、この3つの「空間図式」の間の変移のことを言っています。つまり「空間変移は、観察者の行動に伴って、「同じ」物によって示される、あるいは「同じ」場所に捉えられる空間が〈包囲空間〉〈周辺空間〉〈開口空間〉の間で変移すること』(本論21頁)とします。

このように設定する「空間変移」は、実は日常的に当たり前に起こっていることでもあります(たとえば、われわれは「部屋」に入る前にはたいてい「開口」を見ています. 本論22-23頁)。つまり、スカルパ作品は、これら三図式の間の変移があるから特別なわけではありません。これらの間の変移が「偶然」ではなく「デザインされている」から特別だ、というのが本論の主張です。

では、どうして空間変移がデザインされていると言えるのでしょうか? 簡単に言ってしまうと、「デザインされている」ことを示すには具体的なデザインを一つずつ示して納得してもらうしか方法がなく、第2章と第3章の分析ではひたすらそれを行なっています(*7)。つまり「同じ物が異なる空間を示す」ような空間変移のデザインを相当な数で指摘することができるため「空間変移がデザインされている」と言っているわけです。しかも、それらはただ闇雲にあるわけではなく体系的に整理できることを示したのが、次に説明する〈カルロ・スカルパの建築作品に見られる空間変移のデザインパターン一覧〉(34-35頁, 表1.1)です。

 

[2]〈空間変移のデザインパターン一覧〉の意味

〈空間変移のデザインパターン一覧〉(表1.1)は、観察者の移動によって空間変移が浮かび上がる[移動タイプ]と、要素の並置関係を観察者が捉えることによって空間変移が浮かび上がる[並置タイプ]の二系列に分類しています。細かい説明は本論を読んでいただくとして、ここではこの二系列の意味について考えます(やや抽象的な説明になってしまいますので、表1.1や論文中の分析図を眺めながらイメージしていただけると幸いです)。

[移動タイプ]の空間変移パターンは、すべて〈開口空間(むこう)〉から〈包囲空間(なか)〉への変移を問題にしています。つまり『あらかじめ〈開口(むこう)〉として捉えられることによって、移動後あるいは移動中に、同一の場所が〈包囲(なか)〉に変移したことが浮かび上がるデザイン』です。別の言い方をすると、それは『観察者が〈開口(むこう)〉に「入る」、あるいは「入れるか判断する」ことを促すデザイン』です。この「入る」という観察者の能動性を引き出す点に着目して、これらを《穴》のデザインと呼ぶことにします。

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《穴》のデザイン例:カノーヴァ美術館

 

一方[並置タイプ]の空間変移パターンは、『ある同一要素が、単体としても群としても捉えられること、あるいは複数の異なる群の一部として捉えられることによって空間変移が浮かび上がるデザイン』です。これらは、単純にいえば『観察者が異なる群を次々と捉えることを促すデザイン』といえるので、《群》のデザインと呼ぶことにします。《群》のデザインも、観察者の能動性を引き出す点では《穴》のデザインと同様です(*8)。

《群》のデザイン例:クエリーニ・スタンパリア財団

《群》のデザイン例:パラッツォ・アバテリス

 

このように、本論文中では[移動タイプ]と[並置タイプ]と言っている空間変移デザインを、《穴》と《群》と言いかえたのは、この方が両者の関係を直感的に捉えられるのではないかと思うからです。順番を入れかえて《群》と《穴》と言ってみると、これは常識的な意味での「物」 と 「空間(ボイド)」に対応しているように思われます。というのは、《群》を形成するのは常識的に「物(物体と物質)」であり、《穴》は常識的に「空間(ボイド)」であるからです。

いったい何が言いたいかというと、我々は常識的に三次元の世界において「物 と 空間(ボイド)」を認識したり、設計したりしていると考えられますが、経験をよく振り返ると、実はそれより先に《群と穴》を捉え、そこから「物と空間(ボイド)」を理解していることが多いのではないでしょうか(*9)。すると、スカルパ作品では「物 と 空間(ボイド)」の関係だけでなく、それよりも身体経験に密接しているけれども気づきにくい《群と穴》の関係がデザインされている、とは言えないでしょうか。

もし仮に《群と穴》がデザインされているとした場合、それに何の「メリット」があるでしょうか?「物」と「空間(ボイド)」は、三次元空間においては背反関係にあります。つまり「物」の無いところが「空間(ボイド)」であり、「物」と「空間(ボイド)」は混じり合わず、いわば世界を二分しています。しかし、《群》と《穴》はそうではありません。なぜなら、〈空間変移のデザインパターン一覧〉(表1.1)を見るとわかるのですが、《穴》=[移動タイプ]を構成する要素である〈開口(フレーミング)〉は、《群》=[並置タイプ]にも含まれている(つまり〈開口〉も群を成す)ため、経験において《群》と《穴》は差異を持ったまま連続してしまいます。つまり、「物と空間(ボイド)」の認識が世界を二分してしまうとするならば、《群と穴》の把握は世界を交錯させるのです(*10)。

「物」と「空間」の二分、《群》と《穴》の交錯

 

スカルパ作品において、この《群》と《穴》を直接的につなぐデザインパターンである[D2.フレーミング並置]と[D3.オブジェクト-フレーミング並置]の作為的ともいえるような強い意図は、《群と穴》への志向性を物語っているように思われます(*11)。

[D2.フレーミング並置]の例:カステルヴェッキオ美術館

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[D2.フレーミング並置]の例:ヴェロット邸

[D3.オブジェクト-フレーミング並置]の例:ヴィッラ・イル・パラツェット

[D3.オブジェクト-フレーミング並置]の例:カステルヴェッキオ美術館

[D3.オブジェクト-フレーミング並置]の例:カノーヴァ美術館

 

次項では、《群と穴》のデザインの意味について、「時間」との関係から考えたいと思います。

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*1 加藤義信「空間認知研究の歴史と理論」『空間に生きる—空間認知の発達的研究』空間認知の発達研究会編、北大路書房、1995年、220-221頁。

*2 オットー・フリードリッヒ・ボルノウ『人間と空間』大塚恵一・池川健司・中村浩平訳、せりか書房、1978年、15頁。 アンリ・ポアンカレ『科学と仮説』河野伊三郎訳、岩波文庫、1938年、 78-83頁。

*3 M.メルロー・ポンティ『知覚の現象学2』竹内芳郎・木田元・宮本忠雄訳、みすず書房、1974年、 76頁。 アンリ・ルフェーブル『空間の生産』斉藤日出治訳、青木書店、2000年、176-178頁。

*4 ノルベルク・シュルツ『実存・空間・建築』加藤邦男訳、鹿島出版会、1973年。

*5 原広司「空間図式論」『空間〈機能から様相へ〉』岩波書店、1987年。

*6 ここでの空間図式がなぜ3つなのかについては、後に改めて試論を示したいと思います(予定)。

*7 ここで「デザインされている」とは、必ずしも作者(スカルパ)の意識的な思惑に限定しません。無意識的(非言語的)なものも含めた意図的な工夫をデザインと考えます。以下などを参照。香山壽夫「意匠 design」『建築論事典』日本建築学会編、彰国社、2008年、22頁。岸田省吾『建築意匠論』丸善出版、2012年、4頁。

*8 「能動性を引き出す」と言っても、そう仕向けられているならば観察者をむしろ受け身にさせているのではないか、と疑念を抱かれるかもしれません。しかし、スカルパの建築作品では、そのような仕掛けが汲み尽くせないほど仕組まれており、どれに促されてもいい、あるいは促されなくてもいいような状態になっています。たとえると、それは自然の森をさまようときに引き出される「能動性」にすら近いように思います。

*9 このような考え方は、生態心理学において、環境を区切れなく連続する面と考える「サーフェス・レイアウト」との共通性が指摘できると思います。後藤武・佐々木正人・深澤直人『デザインの生態学』東京書籍、41頁。

*10 論文中では、3章のまとめでこのような特徴について触れています。357頁6行目あたりから。

*11 印象的な言い方になってしまいますが、特に[D2b.直列フレーミング]はスカルパ作品の「決め技」とも言えるようなパターンで、隙あらばこれに持ち込もうとしているようにも思われます(第3章で分析する3作品でも重要な役割を担っています)。なお、ここで注意したいことは、スカルパ作品においては《群と穴》だけがデザインされて「物と空間(ボイド)」はデザインされていないということでは全くないということです。実際には、両関係が共にデザインされて重なっていることが、事態をさらに複雑にします。

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– スカルパ空間論_0 : WEB公開資料
– スカルパ空間論_1 : 研究の経緯
– スカルパ空間論_2 : WEB公開の目的・スカルパの「凄さ」
– スカルパ空間論_3 : 空間変移とは何か・空間変移パターンの二系列《群と穴》
– スカルパ空間論_4 : 「時間がデザインできる」根拠(試論)
– スカルパ空間論_5 : 〈変移空間論〉の展望