論文の結論を一言でいうと『スカルパ建築においては「時間」がデザインされている』ということだと先に述べました(スカルパ空間論_1:研究の経緯)。もう少し付け加えますと、『スカルパ建築には、観察者が「移動すること」によって捉えられるデザインと「見比べること」によって捉えられるデザインが結びついた仕組みがあり、「移動したこと」や「見えること」の時間そのものがデザインされているということができる』ということになります。(論文中の言い方と異なっています。後に述べますが(スカルパ空間論_4)、論文タイトル中の「空間変移」が「時間」に相当すると考えています)

本論文をWEBを通じて公開する目的には、このような結論が「わかりにくい」と思われることの反省と、応用を考えるために「原理を世に問いたい」という展望の二つがあります。

結論がわかりにくい理由には、説明が不十分であったことのほかに、目的が明確に示せなかったことがあると今は思っています。そう思うのは、発表や議論を何度か行なっているうち、「結局、どの部分がスカルパ作品の特徴なの?」という質問をされることが多いということに気づいたためです。

スカルパ作品を扱っている論文ですので、結論が「スカルパ作品の特徴」であることは間違いないのですが、ここでの「特徴」は、通常考えられるような「スカルパ作品に固有の特徴」ではないかもしれません。というのは「固有の特徴」を取り出すだけでは「スカルパ作品が一貫して示している特徴」を捉えられない、と筆者は考えているからです。この数年間の分析で苦しんだことは、ある部分で見られる「固有の特徴」で他の部分を説明することができない、あるいは「固有の特徴」を列挙しても経験的な「一貫性」に合致しない、というようなことでした。

少し具体的に述べますと、本論の34-35ページにある〈カルロ・スカルパの建築作品に見られる空間変移のデザインパターン〉という一覧が本論の結果と言ってよいものですが、「スカルパ作品の特徴はこの一部ではないのか」というような意見を複数の方からいただきました。確かに、この一部がいわゆる「スカルパらしい」デザイン(たとえば[D3a-1.ジグザグフレーミング] や [D4b.対比属性の凝集] )であったり、単独でも興味深い効果をもたらすデザイン(たとえば [M2.立体フレーミング] )であるのは事実であり、それらを「固有の特徴」として取り出すこともできます。

しかし、本論の目的は、そのような「固有の特徴」を取り出すことではなく、「スカルパ作品の経験において一貫して捉えられる特徴」を明らかにすることでした(本論7-10頁に挙げていますが、東京大学名誉教授の横山正先生や、早稲田大学の古谷誠章先生の記述に類似した問題意識が見られます)。そのためには「固有のデザイン」と「固有でないデザイン」が組み合わさった一つのシステムを考える必要がある、というのが本論の主張です。そのようなシステムが示す「一貫した特徴」の意味が「時間のデザイン」だということになるわけですが、「そんなものがデザインできるなんて凄い!」と筆者は言いたいわけです。

では、もしそうだとして、なぜスカルパはそんな「凄い」ことができたのでしょう? 彼の何が特別だったのでしょうか? 一言でいえば「スカルパは1906年生まれのヴェネツィアの建築家だったから」と言うことができます(*1)。1906年生まれということは、モダニズム建築の前衛運動をリアルタイムに見ながら建築家になったということです。ヴェネツィアの建築家ということは、千年を越える人間の欲望の集積を背景にしているということです。つまり、スカルパはモダニズムとヴェネツィアという「凄い」二源流を吸収して自分のデザインに昇華しているから「凄い」と考えられます(未検証です)。もちろん、これ以外にも重要な背景はあると思いますし、この二源流に触れれば誰でも凄くなれるわけではないですが、それでも、全く異なるように見える二つの流れがスカルパの中で切実に共存したことが「凄さ」の背景にあることは間違いないと思います。

次項から、論文の内容について述べたいと思います。

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*1 スカルパの履歴については、A.F.マルチャノ『カルロ・スカルパ』(濱口オサミ訳、鹿島出版会、1989年)などを参照のこと。

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– スカルパ空間論_0 : WEB公開資料
– スカルパ空間論_1 : 研究の経緯
– スカルパ空間論_2 : WEB公開の目的・スカルパの「凄さ」
– スカルパ空間論_3 : 空間変移とは何か・空間変移パターンの二系列《群と穴》
– スカルパ空間論_4 : 「時間がデザインできる」根拠(試論)
– スカルパ空間論_5 : 〈変移空間論〉の展望